なぜ山を歩くのか、走るのか、滑るのか……その原点に立ち返った旅でした。
ピレネー山脈で2泊3日の縦走をしてきました。
楽しみにしていたバリエーション豊富な山小屋泊にはじまり、世界遺産の渓谷、宙を舞う地図、地元の人もびっくりの寒さ…と盛りだくさんでした。フランスとスペインに挟まれたアンドラ公国でのレース前に下見をかねてのトレッキング。そのなかで、あぁ自分はこれを求めて山に入っているんだ、と改めて実感した、ステキな2泊3日でもありました。
アンドラの首都アンド・ラ・ラベリャ(Andorra la Vella)を出発。この時点で標高はすでに900mです。歩き出してほどなく、12世紀につくられたという由緒あるマルジネダ橋を渡るのですが、ひっそりとしていて通っているのに気付けません。
(縦走を終えてから戻ってきてようやく写真を撮れました)
日本のような松林や急登が続きます。
危惧していた雨予報を裏切る快晴! サンドイッチも持って、トレーニングじゃない山行きは久しぶりで、気持ちはウキウキ。荷物は少し重いのですが、足取りは軽快でした。
背負っているのは主に、寝袋とマット、防寒具、雨具に、あとはクッカーとごはん。1週間後にAndorra Ultra Trail 170 kmのレースを控えていたので、ぎりぎりまで軽量化を図りました。
テントは置いてきました。というのも、ピレネー山脈には無料で泊まれる山小屋がいたるところにあるからです。事前に山小屋情報が載っているホームページで今回の縦走路の上にある山小屋を調べておきました。「メタルベッドでマットが必要」「毛布まで完備」など、詳細な情報が得られます。タイプの違う山小屋に泊まるのが、実は楽しみでした。
単調な松林を歩き続け、標高2,100mを超えると、視界が突然開けてきました。
森林限界のようで、ここからの稜線は吹きさらしです。穏やかな一日から一転、強風にさらされ、夕暮れ時が近づいて気温は下がり、雲行きが怪しくなってきました。
さらには、携帯電話の充電が切れそうに。オフラインでも入力した登山ルートを確認できる地図アプリをフライトモードで使っていたのですが、省電力モードにするのを忘れていました。バッテリーはあるので、充電できるのですが、風に当たらないところでゆっくり作業したいので、まだ持つだろうとギリギリまで放置していました。
ピークのひとつであるピックネグレ(Pic Negre)に到着し、スマホで地図を見ていたら、充電が2%! 早くバッテリーをささなきゃ、と思ったところで、液晶画面が真っ黒に。電源が落ちたので充電して再び電源を入れてみたものの、海外用のSIMカードは立ち上げた時に暗証番号を入れないと使えません。あれ、でも、暗証番号の書かれた紙はホテルだ。置いてきてしまいました……。
しまった~、もうスマホが使えない(汗)
でも、紙の地図がある! ここからは紙の地図だけが頼りです。
宿泊予定の谷間にある山小屋を目指します。いよいよ天候が荒れてきて、吹きすさぶ暴風雨。かじかむ手で、レインウェア(エバーブレスフォトン)を着ようとしたその時です。地面に置いた地図が風に乗って舞い上がり、遠ざかっていきました。呆然と見送りかけましたが、スマホが使えない今、地図がないと本当にヤバイ!
ひらひら飛んでいく地図を死にものぐるいで追いかけます。ガレた下りを一心不乱で駆け下り、なんとか地図を確保! 本当に肝を冷やしましたがなんとか助かりました。
このあと歩いた稜線はとても広く、車の通ったような跡が何本かあるだけで、ルートを見つけるのにとても苦労しました。地図がなかったらと思うと、ぞっとします。いろんなハプニングでヘトヘトになりながら目的のプラットプライマー(Prat Primer)小屋に到着。
行動時間は12時間、32kmの道のりでした。
石造りの山小屋はがっしりとした造りでけっこう立派です。
中に入ってまず着替えです。今まで着ていたストームゴージュアルパインパンツの下に、メリノスピンライトのタイツを履いて、薄手のトレラン用の長袖も同じメリノスピンライトのジッパーのものに替えて、その上にポリゴンジャケット2ULを羽織り、さらにエバーブレスフォトン上下を着込みました。これでなんとか寒い夜もしのげそうです。
晩ご飯を食べて、翌日に備えて寝ようと思うのですが、それも一筋縄ではいきません。
メタルベッドに持って来たマットを敷き、シュラフ(ポリゴンネスト6×4)に潜り込んだら、周囲をスースーと風が抜けていきます。寒くて寝るどころではありません。
煙突から冷風が入ってくるようです。食事のしやすい暖炉の前に陣取ったのがよくなかったようで、風の通らないところに寝床を移動。
荷物を取り出したザックの中に足を突っ込み、手袋(フラッドラッシュEXPグローブ)も付けて寒さ対策はバッチリ。今日1日の冒険を回想しながら、あっという間に眠りに落ちていました。夜~朝にかけてはマイナス2度程度でしたが着込んだウェアとシュラフのおかげで、快適にぐっすり眠れました。
むしろ下界よりもよく眠れ、10時間も寝てしまいました(笑)
この日は世界遺産のマドリウ・ラフィタ・クラロ渓谷で絶景をエンジョイ!
広すぎてどこからどこまでがエリアなのか分からないくらいでした。
写真も撮りすぎてなかなか進まず。。。
途中からあちこちで赤い三角の旗が地面に刺さっているのを見かけ、もう大会のコースマーキングを設置しているんだなあ、と少し大会モードに。
立ち寄ったイーリャ小屋で、水をもらおうと中に入っていくと、なにやら楽しそうな雰囲気です。「パーティーかなにか?」と尋ねると、増築した小屋のオープニングパーティーだそうです。
「ご飯を食べていって!」
ありがたいお誘いを受けて、サンドイッチや生ハムなどをいただきます。軽量化で行動食を最低限しか持っていなかったので、本当に嬉しいお誘いでした。
ここで泊まってもよかったのですが、時刻はまだ13時。暗くなるのが22時頃なので、さすがに暇をもてあますなと思い、お腹を満たして先を目指します。このイーリャ小屋は大会のエイドステーションになる地点です。なので、コースの目印となる赤い旗に沿っていけば、コースをトレースできると思い込み、地図も確認せずに、旗に沿って楽チーンと進んでいきました。
しかし何かがおかしい。
本当はイーリャ小屋からはそれほど登るコースプロファイルでは無いのに、どんどん標高を上げていきます。ついに2,800mまで登り絶景が眼下に広がります。そしていくつもの池が見えます。嫌な予感がして地図を確認すると、あれれ、まったくコースから外れています。どうして間違えたのだろうと思ったら、目印だと思っていた赤い旗はコースマーキングではなかった模様。思い込みですね。
おかげでレースでは見られない景色を楽しめたので結果的には得したのかも……? 折角だからレースで行かないコースを行ってみよう!と思い、こっちかなと見当をつけて進み出しましたが、またしても、なんだかおかしい。
山頂からしばらく下って、方角がおかしいことに気がつき、登り返します。山頂でもう一度確認しても、行きたい方向にルートが見当たらず断念。大人しく来た道を引き返すことにしました。
イーリャ小屋を出発した頃は、思ったより早く進んでるから、2日目で目的地の町であるパス・デ・ラ・カサまでたどり着けるんではないかと思ったのですが……。こうした回り道が多く、それに、そもそものんびり写真を撮りながらの山行きを楽しみたかったのに、そんなに急いでどうするんだ?と思い直し、当初の予定どおりもう1泊することにしました。
しかし、イーリャ小屋とパス・デ・ラ・カサの間にはCabanaと呼ばれる、簡易の小屋というか穴蔵のようなものしかない。このCabanaがあまりにひどいようなら、無理をしてでもパス・デ・ラ・カサまで行こうと決め、とりあえずそのCabanaを目指しました。
到着すると石造りの穴蔵のような造りです。恐る恐る中を確認。
石の積み方が雑ですきま風が入るけれど、前日より風が吹き抜けない場所なので暖かく、室内の半分は木板が敷かれていて許容範囲です。
赤い旗に惑わされ、精神的にも疲れていたし、雨も降り出したので、まだ17時ぐらいでしたが宿泊することにしました。
松林から拾ってきた薪は針葉樹なのですぐに燃え尽き、ちょっと目を離すと消えそうになります。延々と薪を火にくべながら、着替えや食事を済ませます。
この時点でまだ18時過ぎ。。。寝るにはあまりにも早い。しかし起きていると薪をくべ続けないと寒い。
もうポリゴンネストにくるまってしまえ!と腹ばいになり、地図を広げて今日のミスコースと明日のルートを確認。旦那さんが合流してから行く予定のアンドラ最高峰・コマペドロサのルートを見たりしながらワクワクし、19時ぐらいに眠りにつきました。
この日の行動時間は9時間、移動距離は21kmくらいでした。
夜明け前には起床して身支度を整えます。
小屋の周辺に水場がないので、近くの川の水を浄水器で濾過して使いました。水場がなくとも水自体は豊富にあり、浄水器があれば水に困ることはありません。
きょうは残り9キロ。一度2,600mぐらいまで登って、あとは町に向かって下山するだけ。
しかしこの最後の9キロも美しいが一筋縄ではいかない。。。
高度を上げるにしたがって、今まで朝露でキラキラしていた草が白く見え始め、気がつけば山全体が白く見える。そうです、気温が低くて斜面の草が全て凍っているのです。そして小雪もちらつく。また雲行きが怪しくなってきました。
標識が凍っていたので、氷点下だったのでしょう。厚手の手袋や防寒具を着込んで完全防備です。
足場の悪い中、草をかき分けて町を目指します。距離はそれほどないと思うのですが、レースで使われるルートがよくわからず、もういいやと思い、普通の一番わかりやすい登山道を下ることに。
スキー場に出て人工物を見た時にはほっとしました。
が、町は見えるのだけど、そこに向かうためのルートがよくわかりません。方向は間違いないので適当なルート取りで向かいます。もう寒くて、とにかく早く町について、少しでもあたたかくなって欲しいという一心でした。
町に到着して、目に入った電光掲示板には、昼時にもかかわらず「2℃」の文字が。。。どうりで寒いわけです。
今回の縦走中、一人で小屋泊しながら、なんだかとてもワクワクしていました。
その日1日の出来事を振り返りながら、あれは肝を冷やしたなとか、あそこは美しかったなど思いながら、寝床や夕食の用意をします。決して家やホテルにいるほど快適な環境では無いのだけれど、限られたもので工夫をしながら、その状況で最大限に快適な状況を作る工夫をする。そしてそこに喜びを見いだす。
それはまさに、子供の頃に秘密基地を作って、空き箱や発泡スチロールで基地の中にこたつを作ってみたりしていたあのワクワクと同じなのです。
そして、その日1日を振り返って、色々アクシデントがあったことも、冒険にはなくてはならないエッセンスで、それで疲れたな~と思っても、実はそれが楽しくて山に入っているんだと気がつきました。
山はどんなに準備万端にして挑んでも、必ず何か試練をくれたり、非日常の冒険を用意してくれています。そこで本当に大事故になってしまったら楽しみでは無くなってしまうので、最大限の注意と準備が必要ですが、その上である程度のアクシデントや冒険が大好きで私は山にいるんだと思いました。
レース前にそれを改めて思い、レースも一筋縄ではいかないけれども、その冒険を誰よりも楽しんでやろうと思いました。それが今回のレースの良い結果につながった気がします。
冒険する心を忘れない。それを思い出させてくれたアンドラの旅でした。
※finetrack編集部注:この縦走の約1週間後、丹羽薫さんはAndorra Ultra Trail 2017(170 km)に出場し、みごと準優勝! 雷雨・暴雨・雹が降る悪天候、ヘッデントラブル、脚の痛み、睡魔、胃腸のアクシデントなどと向き合いながらのレースだったといいます。
マルチアクティビティプレイヤー
丹羽 薫
国内外の大自然と会話をしながら、マウンテンランニング・登山・バックカントリースキーと、その瞬間のベストな遊びで「完全な自由」を探求するマルチアクティビティプレイヤー。
その活動は同性から高い支持を集める。
また自他共に認める愛犬家の一面も。