春に骨折した鎖骨も順調に回復し、1週間ほど前に全ての運動が解禁。よって、来年の遠征のトレーニングも兼ね、西穂-奥穂稜線や大キレット、不帰など北アルプスのまだ踏み込んだことのない稜線をまとめて歩き、ついでに日本海まで抜けてきました。
【山行日】2017年8月11日~18日
Day1:中の湯~焼岳~西穂山荘(テント)
Day2:西穂山荘~奥穂高岳~北穂高岳小屋(素泊まり)
Day3:北穂高小屋~槍ヶ岳山荘~双六小屋~三俣山荘(テント)
Day4:三俣山荘~岩苔乗越~野口五郎岳~烏帽子岳~船窪テント場
Day5:船窪テント場~七倉岳~針ノ木岳~赤沢岳~種池山荘(テント)
Day6:種池山荘~鹿島槍ヶ岳南峰~五竜岳~唐松岳頂上山荘(テント)
Day7~8:唐松岳頂上山荘~白馬岳~朝日岳~栂海新道~親不知
■8月11日 平湯温泉~中の湯~焼岳~西穂山荘(テント)
平湯温泉に車を止め、中の湯バス停から登山口へ舗装路を登るも、荷物が重くてスピードが上がらない。病み上がりの歩荷トレーニングもと思い、あまり軽量化を考えずにいたら、かるく25キロは超えてしまったようで、今の自分には重すぎた模様。汗だくになりながら焼岳に向かうと、降りてきた人からクマがいると教えてもらう。わかりにくいが、確かに遠くに動く黒い塊を確認。熊は全く登山者を気にせずその場をウロウロしているようだった。
今回、山地図コースタイムの7割程度で計画していたが、焼岳を過ぎコースタイムが精一杯ということが判明。早々に行程の見直しを迫られる。しかも西穂山荘手前で、遅れて出発してきた会社の女子に追いつかれ、しばらく行動を共にする事となる。
■8月12日 西穂山荘~奥穂高岳~北穂高岳小屋(素泊まり)
4時半頃出発。南岳小屋目指して出発するも、西穂山頂先の鎖場で早くも団体の渋滞に捕まる。このままでは南岳どころか北穂もダメかもと心配したが、途中の広場で我々他後続に先を譲ってくれた。
その後、意外とすれ違いが少なく順調に進みジャンダルムまで来ると、騒がしい声が響き渡り一気に人が倍増する。どうやら、奥穂からジャンダルムをピストンする人が大半らしい。ジャンダルムは重荷でも容易に登れ、念のためと持ってきたロープはただの重荷となった。
奥穂下りのプチ渋滞もあり、穂高岳山荘には14時過ぎ到着。南岳小屋をあきらめ北穂高小屋を目指すが、涸沢岳から北穂高岳間も鎖場、ハシゴが連続し時間がかかる。16時過ぎにようやく北穂南峰手前まで来ると、岩場で足下のおぼつかない韓国の団体10数人とすれ違う。おそらく涸沢岳への登り返しの途中で暗くなるだろうが、大丈夫だろうか。17時半頃北穂高小屋に到着すると、案の定テント場はすでに満杯状態。小屋から遠い天場まで場所を探しに行く気力もなく、素泊まり泊とした。
大キレットを南岳小屋まで登り返すと、西穂山荘から続いた険しい登山道も一段落し、平和な登山道となる。南岳、中岳、大喰岳を越え昼前には槍ヶ岳山荘に到着。そして槍の穂先はいつもの渋滞。先が長いので、今回もあきらめて双六小屋へ向かう。
途中、ライチョウ親子に癒されつつ、15時過ぎに双六小屋に到着。
ここで会社の女子と別れ、巻き道コースを1人三俣山荘へ向かう。巻き道と言いながらアップダウンのある道を2時間半ほどかかり18時過ぎにようやく三俣山荘に到着。しかし、テントが雪渓の方まであふれスペースがほとんど見当たらない。早く休みたいので、少し斜めだが雪渓手前のテントスペースに強引に張り、夕食を食べてすぐに寝る。
■8月14日 三俣山荘~岩苔乗越~野口五郎岳~烏帽子岳~船窪テント場
今日は長丁場なので、1時起きの2時半出発。鷲羽岳は時間と体力を要するのでまたの機会とし、今回は沢沿いの岩苔乗越ルートを取る。ワリモ北分岐を過ぎたあたりで空が白み始め、5時半前に水晶小屋に到着。鷲羽岳同様、水晶岳もパスしすぐに野口五郎岳に向かうが、ここから急に歩く人が減る。
野口五郎岳は山頂をカットしてもたかが知れているので、直登ルートで山頂を通過。三ツ岳手前は楽なお花畑のトラバースルートを選択し、10時半ごろ烏帽子小屋に到着。ここまで8時間歩いてきたが、船窪まではコースタイムでまだ7時間もある。長丁場に備え始めてコーラを買い補給。
烏帽子岳は往復30分と少しかかるが、ここは来る機会が無いかもしれないと分岐に荷物をデポし空身で山頂往復。残念ながらガスで何も見えなかったが、岩峰を登ってとりあえず満足。そして烏帽子岳から先、急に道が悪くなる。南沢岳-不動岳間はザレ場で滑って危ないし、船窪の頭、船窪岳前後も険しくハシゴや鎖の連続だが、崩壊激しく危ないと思われるところが多々あった。そんな状況なので当然スピードも上がらず、たっぷり7時間半程かかり船窪テント場に到着。暗くなる前に水汲みとテントを張り、暗くなってから往復40分かけ小屋までテント代を払いに行く。
■8月15日 船窪テント場~七倉岳~針ノ木岳~赤沢岳~種池山荘(テント)
2時起き3時半発。七倉岳~北葛岳、蓮華岳間はやせ尾根、鎖場、ハシゴと結構険しい。特に北葛乗越からの蓮華の大下りは、岩場の登りで浮き石多く鎖も古く、結構危ない。そんな中、ヘルメットを被らない人も多く、よく落石事故が起こらないのが不思議なくらいだ。
針ノ木岳を通過しスバリ岳に差し掛かるとガスが濃くなり、雨が降り始める。最後の頑張りと新越山荘にてカップラーメン補給し、16時半過ぎに種池山荘に到着。出来れば1つ先の冷池山荘まで行きたかったが、前日の長丁場の疲れと今後の天気予報などから種池山荘までとした。
■8月16日 種池山荘~鹿島槍ヶ岳南峰~五竜岳~唐松岳頂上山荘(テント)
2時起き3時半発。雨はやんでおり、暗闇の中爺ヶ岳に向かうも、登るつもり無かった南峰に間違って登ってしまう。やはり暗くて周りが見えないと間違いやすい。明るくなり鹿島槍ヶ岳南峰を通過し5時間で鹿島槍ヶ岳北峰分岐に到着。北峰は近いといえども登りで、天気は雨。ここはまた来るだろうと体力温存でパスし、八峰キレットへ向かう。八峰キレットは意外と短くあっという間に核心部を通過し北峰分岐から1時間ほどでキレット小屋に到着。
そしてここからが長かった。五竜岳、唐松岳の岩稜帯の登りがガレガレで悪く、体力的にも精神的にもかなり疲弊する。雨の中、16時過ぎにようやく唐松岳頂上山荘に到着するが、テント場が斜面の下でげんなり。それにしても、4日目の水晶小屋を過ぎてから、天気が悪いせいもあるが人とすれ違う機会がめっきり少なくなった。
■8月17日~18日 唐松岳頂上山荘~白馬岳~雪倉岳~朝日岳~栂海新道~親不知
親不知から平湯に戻る終電が14時と早く、コースタイムを計算すると、朝日小屋によっても休む時間があまりない。よって唐松から夜通し歩いて親不知へ抜けることにして、明るくなった少し遅めの5時過ぎに出発。
20分ほどで唐松へ登り不帰に入るが、八峰キレットと同様にあっという間に通過。これで難所はすべて終わり、後は歩くだけのはずだが、ここからが大変だった。
12時半頃、村営頂上宿舎で補給を兼ね大休憩し、白馬岳、雪倉岳を越えて朝日岳への登り返しに入る頃ライトを点灯。暗闇の朝日岳を越え栂海新道へ入る。途中、富山の夜景も見え、海が近くなったことを実感。天気予報の雷雨は白馬方面で光っており、風向きからこちらに来ないかもと期待したが、長栂山を過ぎた辺りでとうとう雨に捕まる。
日付も変わるころ、疲れと睡魔が出始めたので、中俣新道との分岐で10分ほど座って仮眠。少し眠気がましになったので黒岩山を越えサワガニ山方面へ小一時間ほど歩いたところで、ついに激しい雷雨に捕まる。木立の陰に避難し、ある程度収まったところで一度歩き始めるも、すぐに近くで光ったので再び木立の下に入る。ようやく少し離れたかというところで、雷が鳴る逆方向に歩き始めるが、いくら歩いてもサワガニ山に着かない。
ようやく山頂の道標らしき物が見えたので駆け上がると黒岩山の看板の前に出た。どうやら雷を回避した際に逆方向に逃げてしまったらしい。時刻は3時20分過ぎ。2時間ほど無駄にしたことになる。しかも黒岩山からのコースタイムを積み上げると、このままでは親不知駅の終電に間に合わない。一気に目が覚め、一瞬あきらめようかとも思ったが、最後は下り基調でペースが上がるはずと、下山を加速する事にする。
まずは栂海山荘6時、白鳥小屋9時、そして親不知の国道へは終電1時間前の13時を目標に、下りと平地は出来るだけ走る。途中、北又の水場で往復10分かけて水汲みへ行くロスタイムもあったが、栂海山荘は6時15分前、白鳥小屋は9時10分前に到着。予想以上の激坂と次々に出てくるぬかるみで思うように時間を縮められなかったが、何とか親不知の国道に目標時間前の12時45分に到着。自販機で水分補給をしてから駅に向かって歩きだすと、対向車線の車から栂海新道を降りてきたのかと声をかけられる。山行行程と親不知駅に行くところを説明すると、Uターンして駅まで乗せて行ってくれるという。しかも汚れた体のまま車に乗せていただき、疲れた体には非常にありがたく助かりました。なお、途中の転倒でカメラが壊れ、携帯のバッテリーも完全になくなり親不知の写真が取れなかったのが残念。
今回は西風が吹く中、ガスや霧雨、一時的な雨等悪天に見舞われることが多かった。変化の激しい中、いちいち止まってアウターを着用するのは面倒だし、かといって着用したままでは真夏の稜線なので暑くて汗があふれ出す。特に私は暑さが苦手で汗を大量にかく方なので、少しの雨風ならばアウターを着用せずにやり過ごしたい。そんな私の要望をかなえてくれたのが、スキンメッシュとドラウトフォースの組み合わせ。スキンメッシュの撥水性が外部からの肌への濡れを防いでくれ、ドラウトフォースの拡散蒸散性能で素早く乾いてくれる。おかげで着脱の手間をかなり省略して歩き続けることが出来ました。