シーカヤックでの海外遠征に情熱を傾けてきた3人が集まり、国内トレーニングと銘打って津軽海峡を舞台に渡島大島、奥尻島と漕ぎ渡ったのが2年前。今年はどこを漕ごうかと同じメンバーで連絡を取り合い、決まったのが石川県の能登半島から佐渡ヶ島、粟島、飛島を経て秋田県の男鹿半島へと島伝いに漕ぎ渡る400kmを超えるロングルート。そして出発前に決めたルールが2つ。ナビゲーションにGPSを使わないこと、気象予測にインターネットを使わないことだ。
どうせやるならやりがいがある方が良いに決まっている。予備日もたっぷりとって20日間の旅に出た。
コース概要:能登半島~佐渡ヶ島~粟島~飛島~男鹿半島
■アクティビティ日:2022年6月6日~2022年6月25日
東京、千葉、岡山からメンバーそれぞれ日々の困難を乗り越え(いわゆる家庭の事情だ)、シーカヤック3艇とパドリングギアを満載した車で能登半島の珠洲にたどり着いた。どこをスタート地点とするかは直前まで決まっていなかったが、幸いにも遠征に興味を持ってくれたキャンプ場オーナーのご厚意により、旅のあいだ車を置いて頂けることになった(浦野農園さんありがとう!)。
ここなら海は目の前、佐渡ヶ島まで最短距離で漕ぎだせるぞと気をよくした我々は、低気圧の通過待ちをこれ幸いとショートツーリングして体を慣らし、買い出しをして準備にいそしんだ。
8日16時のラジオ気象通報で手書きの天気図を引く。ゆっくりと東へ進む高気圧のチャンスを逃すまいと、翌午前2時の出発を決め19時には寝袋に入った。
期待と不安で寝付けず、起きだしてテントを出ると空には星が見え大気も安定していた。アリューシャンやグリーンランドで経験を積んできた3人だ、出発に異論なんてあろうはずもなく手早くパッキングをすませ午前2時、ストロボを光らせながら闇の海上へと滑り出した。
佐渡ヶ島までは北東へ距離にしておおよそ84km、順調にいけば18時間で着けると目論んだ。夜の航行では暗闇の中、コンパスを見ようとライトをつけると目が暗さに慣れない。幸い晴れていたので夜空に浮かぶ星を頼りにナビゲーションを行うことができた。仲間を見失わないよう距離を保ちながら、バウで切り裂かれた海面に光る夜光虫を見ながら漕ぎ続ける。そういえば初めてカヤックの旅に出たのもここ能登で、その時も夜光虫に感動したことを思い出した。
出発して2時間、東の空が白み始め手元が見えるようになった。日の出を迎え、朝日に照らされた雲の荘厳な景色を見ながらうつらうつらと夢見心地で漕いだ。うねりは残っているが風は弱く、横断には理想的なコンディション。朝日岳だろうか、本州に連なる立山連峰の山容を楽しんでいるうちに、ゆっくりと雲間から佐渡ヶ島が現れた。
1時間に5分の休憩を取り、海水で顔を洗って眠気を覚ましながら行動食を無理やり飲み込む。ナビゲーションはコンパスと海図で現在地を確認した。海上から見ると、新潟県の米山は標高993mと低いが独立峰のため目立ち、山立てを行うのに適していた。古い時代の船乗りも、こうして米山を目印に航海していたのだろうか。
13時間、14時間と時が過ぎるにつれ腰、尻、背中と体中が傷み辛い。単調なパドリングに飽きながら漕いでいると突然クジラが現れ、驚かされた。群れで回遊しているのか、何度も浮上しては我々を楽しませてくれた。やがて、島に近づくにつれ吹き始めた北風と潮流に押し返されたが午後7時、宿根木付近に浜を見つけ、佐渡ヶ島へ上陸した。
17時間も漕ぎ続けたおかげで体が固まってしまい、上陸後は皆うめきながらよろよろとしていたが、横断成功に充実した心持だった。冷えた体を焚火で温め、ウィスキーで祝杯を挙げテントへ入ると気絶するように眠った。
翌朝はバキバキの体にむち打って漕ぎだした。粟島への横断ポイントとなる佐渡ヶ島の北東端を目指し、北風に抗って東側沿岸を漕ぎすすむ。
3日かけて鷲崎漁港に着き、地元の漁師さんに許可を得てキャンプしながら、ご厚意で新鮮なブリやサバまでいただいてしまった。今回、気象の判断にはラジオ放送による手書きの天気図を用いた。
しばらく強い風の続く気圧配置となる為、天気待ちの間は島の観光で過ごすことに。レンタカーで島を回り、ランニングや釣りに興じ、ドンデン山に登ったりして佐渡ヶ島での停滞を楽しんだ。
停滞三日目、雨に降り込められた我々を心配した漁師さんのお宅へお招きに預かっていたが、16時の天気図から翌日のチャンスへかけることに。泊っていけという言葉に後ろ髪を惹かれる思いでテントへ戻った。イカ釣り船の明かりに誘われて夜中に起きだしたが、風が残り横断には不安があったため5時をタイムリミットとして様子をみる。夜明けとともに準備を開始し、高台に登って視程を確認すると、60km先の粟島灯台が海の向こうで瞬いていた。雲が流れ風は残っているが、陸で一喜一憂しているよりも海に浮かんで確かめることが大事だ。お世話になった漁師のおかみさんに礼を言い、粟島へ向かって港を出発した。
強い南西の風に押されてぐんぐんと佐渡ヶ島が遠ざかっていく。前日の天気図からは等圧線が緩むことを予想していたものの不安もあった。ネットで正確な天気予報を見ていたら出発しなかったかもしれないが、こういった不確定要素を受け入れることが経験になるのだろうと思う。知りすぎてしまえばできない理由も増えてしまうものだ。なにより1週間も滞在していたので次に進めることが嬉しかった。
徐々に天候も回復して風も波も穏やかな横断日和となり、出発して6時間、粟島がうっすらと見えてきた。
島に着くころにはすっかり晴れ渡り、気持ちの良い日差しの下、粟島へ到着した。島影に入ると、透き通った海と切り立った海岸線を見て「カヤックって楽しかったんだなー」と思わず声に出してしまい、二人に笑われた。疲れてはいるが、16時までに上陸してラジオで天気図を引かなければならない。ありがたいことに海辺のキャンプ場が現れ、砂浜にカヤックを引き上げた。小さな島だが牧場があり、馬の世話をしに学校帰りの子供たちが元気よく挨拶をして通り過ぎる、朗らかな風情が漂う島だ。水のシャワーで潮を流し、疲れた体を港のカフェの冷たいビールで労った。
翌日は休養日にして粟島での滞在を楽しんだ。レンタサイクルを借りて島を散策することになり、夏休みの少年の気持ちになって意気揚々と走りだしたまでは良かったが、国内3位の標高を誇る粟島灯台までの上り坂に早々と沈脱。自転車を置いてバスに乗ったパドラーたちでした。
島の商店で行動食を補充して温泉につかり、キャンプ場で焚火を熾してスパイスカレーの夕食。16時の天気図と気象通報から明日の出発を決め、次の目的地である飛島への横断に備えた。
2時に起きだすと星が瞬いていた、寒さにかじかむ手でパッキングを済ませ、午前3時に出発。再び暗闇のパドリングだが、夏至も近く日の出はすぐにやってきた。海上は靄で視界はないが、凪で弱い南風を受ける良い海況だ。粟島から北へ80kmの飛島は標高が低いため、50km以上漕いで近寄らなければ視程には入らない。島が見えるまでコンパスを26度に合わせて漕ぐが、ずっと見続けていると疲れてしまうため、30分おきに先頭を交替しながらナビゲーションをすることにした。後は付いていくだけなので楽だと思っていたが、先頭は進路を保つために集中しながら漕ぐので先頭も悪くはなかった。3人で思いつく限りの懐メロを歌いながら、退屈をまぎらわした。
長距離の横断も3回続けば慣れてくるもので、次の休憩は何を食べようかなんて考えているうちにあっという間に時間が過ぎていく。しかし午前中だというのに早くも暑い、こう暑くてはぱさぱさの行動食なんてのどを通らない。暑さで朦朧としながら視界不良の中で漕いでいると、本当に進んでいるのだろうかと疑心暗鬼になってくる。潮流に押し返されて全く進んでいないのでは・・・。
9時間ほど漕いだころ、右手上空に何かが浮かんでいるのが見えた。あまりに唐突で、それが雪の付いた山の稜線だとす認識するのに時間がかかってしまった。鳥海山だ!前を行く2人に声をかけ、コンパスで山立てをすると60km程来ていたようだ。あと1時間もすれば島が見えるだろうか、とにかく現在地が分かったことに安堵した。この旅が終わったら、家族で鳥海山へ登って海を見下ろすのもいいな。そんなことを考えながら漕ぎ続けていると、やがてこんもりとした飛島が見えてきた。
島の断崖を回り込み、沢山の海鳥が飛び交う下を浜へ向かった。対馬暖流が押してくれていたようだ、予定よりも早い15時に飛島へと上陸。やれやれ着いた着いたと体を伸ばし、例によって冷えたビールを求めて島を歩き出した。飛島は鄙びた風情のある素朴な島だが、フェリー乗り場は釣り人や日帰りのトレッカーで賑わっていた。ここでも自転車を借りて島を見て回りながら休養し、旅のゴール男鹿半島へ向けてラストスパートをかけた。
昨日からの風が残り、海況は芳しくないがとにかく飛島を漕ぎだし、南風に押されながら男鹿半島を目指す。男鹿までは80km、波が高いのが気掛かりではあったが、島のように目標を外すことはないため安心感があった。追いこす波に丁寧にブレースを入れ進路を保っていると、あっという間に時間が過ぎていく。
気が付くと波も風も落ち着き、いつものように馬鹿話をしながら漕いだ。そろそろ男鹿半島が見えてもいい頃なんだけれどなぁ、そう思って目を凝らしていると、ゆっくりと男鹿半島のシルエットが水平線に姿を現した。
船川の石油備蓄タンクを目印に、旅の終わりを惜しみながら、ゴールへと向かって最後のパドリング。午後4時半、男鹿半島へと上陸した。県道脇の名もない小さな浜で握手を交わし、長い旅を無事やり遂げた達成感を3人で分かち合った。
今回も来た甲斐があったと思える良い旅ができた。単独で漕ぐことも多い我々だが、こうしたスケールの大きい旅をする機会をくれた仲間に感謝したい。
身支度もそこそこに町へと繰り出し、首尾よくスーパーで半額の総菜を買い込んだ我々は、浜辺で盛大に打ち上げをして旅の成功を祝うのだった。
一夜明け、さぁ帰ろう!と振り返ると、我々にはカヤック3艇と大量の装備が残されている。車は遥か400km向こうの能登半島に置いてきた。
カヤック旅の成功を喜んだのもつかの間、これから3日間をかけた大回送が始まる。
※シーカヤックによる長距離の横断は漂流や遭難のリスクを含み、十分な経験とスキルを必要とします。パドルスポーツを楽しむ際は不用意な航行、横断は慎み、フローティングベストは必ず着用して安全に留意してください。
一度海の上に漕ぎだすと、登山のように自由に脱ぎ着ができないシーカヤック。6月の日本海、未明の行動開始に吐く息は白く、日中は照り付ける太陽の下で長時間漕ぎ続ける温度差の激しい過酷な環境です。
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