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2/282024

メーカーと工場の想いをひとつに。原動力は“新人”と“大ベテラン”の好循環

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ファイントラックがラインナップする靴下の製造を一手に担う、株式会社東洋繊維。3代目の水谷顕治社長と弟の水谷陽治専務に話を聞くと、東洋繊維の歴史からはじまり、新製品の開発に携わった担当者間のつながりや、製品が生み出される現場で欠かすことのできないチームワークなどを伺い知ることができました。

目次

  1. 互いを認め、信頼し合う関係性
  2. 挑戦と挫折が成長へ
  3. 新製品に欠かせない3本の矢

互いを認め、信頼し合う関係性

2024年の新製品、ラミースピン®アルパインソックスの開発は、入社2年目の新人社員である衣川が担当しました。一方、靴下の製造を担う東洋繊維の窓口は、水谷陽治専務が担当。水谷陽治専務は、衣川とはじめて出会ったときの印象をこのように回想します。

東洋繊維の3代目社長、水谷顕治さん(左)と、社長の弟にあたる水谷陽治専務(右)

「驚いたのは衣川さんが初めて工場に来たとき、かなり詳しく説明した専門的な靴下の製造の話を現場でほとんど理解してくれて、内容の濃い会話ができたんです。さらに後日届いた企画書もできが良かった。企画書を見たほかの社員も感心して、初年度にしては今まで見てきたものも含めて、過去最高のできだと思っています。あの一枚の企画書からいいものを作りたいという気持ちが伝わってきましたね」

一方、衣川は普段のやり取りを通して専務に大きな信頼を寄せます。

「水谷専務は、疑問に思うことを電話で聞くと、その場で丁寧に基本から教えてくれるんです。靴下作りに対して理解が深まり、そこから製造方法のアイデアが生まれるなど選択肢が増え、さらにこうしたらもっといいのではないかといった提案まで頂けます。一緒にものを作っている感じがすごくあります」

ラミースピン®アルパインソックスの開発を担当した衣川(右)と、水谷専務は親子ほど年齢が離れている

年齢にも経験値にも大きな差がある二人のあいだで交わされる互いを認め合い信頼する言葉からは、ビジネスライクを越えた関係性を垣間見ることができます。この関係性が好循環となり、ラミースピン®ソックスに新たなラインナップが誕生しました。

挑戦と挫折が成長へ

岐阜県関市にある東洋繊維は、国内有数のニッティング技術をもつ靴下専門工場です。その歴史は古く、創業は1937年にまで遡ります。

現在の東洋繊維の工場内。無数の機械が音を立てながら、さまざまなメーカーの靴下を製造している

戦前の時代、愛知県名古屋市で初代社長の水谷定一がメリヤス(コットンやウールの糸などを編み物用の機械で編んだ布地)の卸商を営む水谷商店を開業すると、戦時下の1943年には世の中の潮流を読み靴下製造業に転業します。しかし、激しい空襲による火の手は工場にまで及び、靴下の原料はほぼ焼失。そのなかにあって、唯一焼け残ったのが、靴下編機でした。

共に戦争を生き抜いた靴下編機を前に、定一は再起を決意します。

終戦の翌年1946年に新しい会社を興すと、戦後復興から高度経済成長期にピークを迎えるが、バブル崩壊、そこから転がり落ちるように日本経済の低迷に直面、多くの生産拠点が海外へ移行される中、自社生産一環工場を1990年に岐阜県関市に移し、2006年に社名を東洋繊維に変更。いまでは国内有数の靴下製造会社としてその名を知られるようになりました。

任意のデザインを靴下にプリントできる、国内でも数少ない最新技術を使った製造も行っている

ファイントラックとの出会いは水谷陽治専務と、実の兄であり現在3代目の社長を務める水谷顕治さんが東洋繊維に入社して間もない2000年代中頃のこと。このころ東洋繊維は景気低迷による倒産の窮地を脱し、自社工場の技術を生かした新製品の開発に興味をもってくれるメーカー企業を探している最中でした。そこで出会ったのがファイントラックです。

「当時はまだ一軒家でしたね。2階の一室でファイントラックの金山社長と商談して、これで靴下を作りたいと見せてもらったのが、スパイルフィルという御社独自のツルツルの糸。靴下の原料としては不向きな素材を見せられて、それでも金山社長は、これで靴下を作りたいんだ! と一歩も引かず。そうしてできあがったのが、御社とはじめて一緒に作った第一号製品なんですが、初年度大ゴケしましたね……。」

と、水谷陽治専務は苦い顔で本音をポロリ。それでもファイントラックとの取引を続けたのには、こんな訳がありました。

「取引を始めた当初は注文は少ないし、それなのにサイズ展開はしっかり4つくらいあって、いつまでこの会社と付き合うんだと社内から反発もありました。でも、金山社長と一緒にする仕事は、僕たちがしたかった自分たちの技術を最前線で生かしてもらうことだったんですよね」

口には出さなくても、第一号製品の不発だけで諦めたくないという当時の熱い思いが言葉尻から伝わってきます。

「それからリニューアルの話が出て、そのころから相川さんが製品開発に携わるようになって、素材にメリノスピン®糸とメリノ紡毛のハイブリッドの編地を開発したことで、品質や生産性が向上し、順調に売れ始めました。それが今となっては商品数も増えて、御社の製品を作るために一年中稼働させる機械が必要になるほどです。おかげで自信がつき設備投資が積極的にできるようになりました。本当にありがたいですね」

取材時も出荷を待つファイントラックの靴下が至るところにうず高く積まれていた

新製品に欠かせない3本の矢

モノ作りの現場には確かな技術をもつ職人の存在も欠かせません。いまでこそ東洋繊維は、登山でも使われる裏面にパイルと呼ばれるループができるスポーツソックスの製造で国内トップクラスの技術を有していますが、数十年前はその技術をもち合わせておらず、ゼロベースからのスタートでした。

靴下のパイルを拡大したようす。一つひとつのループがクッション性や保温性をもたらす

「そのとき会社を支えてくれたのは現場の技術でした。いまもそうですが、難しい要望を形にしてくれる技術者がこの会社にはいるんです。なにか新しい製品を作りたいとき、頭の中にあるイメージを形にしてくれる土俵があるっていうのは大きいですね」。

水谷専務の兄、水谷顕治社長は誇りをもってそう話します。

靴下を作る機械の内部。円形に並ぶ針に通す糸の張力や角度の調整には職人の技術が欠かせない

ラミースピン®アルパインソックスも現場の技術に支えられて誕生した靴下のひとつです。糸染色時からの抗菌防臭加工や、工場からの提案で実現した新たなクッション性、締めつけ感を抑えながらしっかりフィットするレッグ部分のテーパード仕様など、どれも高い技術力の賜物といえます。

「ラミースピン®ソックスのシリーズは、製造がかなり難しいんです。使われている糸が本当に硬いし、飛び出るし、切れるし、でも履いてみると気持ちいいことはわかっている。なんとか現場の技術力で生産ラインを軌道に乗せて、ユーザーの方々に滞りなく供給できるようにしたいなと思ってやっています」

さまざまな遊びから得たアイデアを基に、フィールドで本当に使える製品を企画するメーカー。その熱意を汲み取り、ともに考え、実現可能な方法や新しい切り口を提案する工場。その企画を高い技術力で形にして、量産まで落とし込んでくれる職人たち。いずれも魅力的な商品の開発に欠くことのできない、まさに3本の矢のような存在といえるでしょう。それらの力が合わさって生まれたのが、ラミースピン®アルパインソックスです。そこには、良いものを生み出そうという人々の熱い想いが宿っています。

左から水谷顕治社長、衣川、水谷陽治専務。3人の固い絆はこれからも途切れずに続いていく

構成/文 吉澤英晃

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