DRY LAYERING ドライを重ねる 5レイヤリング

投稿者: 衣川 佳輝 撮影者:衣川、川幡、岡山、久保田、大石

CATEGORIES
スタッフの遊び記録
ACTIVITIES

■ツアーコンセプト
持ち込んだ食料や燃料にできるだけ左右されることなく、山を何日も自由に動きたい。そして山に入り込みたい。自転車とともに。
■概要
2024年GWは、8泊9日かけ自転車とともに光岳を越えた。千頭森林鉄道(せんずしんりんてつどう:※1)跡を探索しつつ、路盤が崩壊している場所は寸又川沿いを、どうにもならない場所は寸又川左岸林道(※2)まで上がった。柴沢からは尾根を担いだ。深南部を巡る旅の記録、前編。

■アクティビティ日
2024年4月27日~5月5日(前編:4月27日~4月30日)

-行程の補足-
※1_森林鉄道とは、戦後復興の建築用木材需要を受け、日本各所で発達した林業用の鉄道である。千頭森林鉄道は昭和初期に開通した日本一の事業規模を誇る林鉄で、昭和44年に廃止され、それ以降林鉄跡は荒廃の一途を辿っている。今回のツアーではこの千頭森林鉄道跡を辿ることも目的の一つで、路盤を歩き、隧道(トンネル)や営林小屋も一部探索した。路盤はその多くが崩落消失しているが、橋や隧道は残っているものもあり、寸又川の川面から10m~30m程度の標高差で走っていた。

※2_寸又川左岸林道は林鉄廃止後に切り開かれた林道で、川面からおおよそ標高差200m程度の高い位置を走っている。釜ノ島付近で林鉄跡と合流する。光岳への登山道として使われたクラシックルートでもあるが、現在は原型をとどめないほど崩壊が進み、地理院地図からその存在を最近消された。

【Day1_4/27(土):金谷駅➡寸又川右岸-天地索道残骸跡の河原】
金曜終業後、終電で神戸駅から金谷駅に向かった。土曜朝、様々な方法で金谷駅に集まったメンバーとともに始発で千頭駅まで輪行し、千頭駅から自転車で走り始めた。


千頭駅で輪行を解除して寸又川右岸沿いを走り始めた。


ウムシトンネル。2010年は車も通れていたようだが、現在では迂回せよとなっている。


アカイシトンネル。トンネル入り口上の斜面が崩落し、入口が埋まりかけている。パンク修理で休憩中。

一部で崩落やダート、班員のパンク(4人で3回)もあったが、昼前には寸又峡温泉に到着した。寸又峡温泉で徒歩組と合流し、この後しばらく入れないだろう温泉に入った。そして雨がぱらつく中、千頭ダムへと向かった。


寸又峡温泉街を抜け、寸又川上流部へ林道を進む。


林鉄大間駅跡。山岳関連の本が蔵書されている。

千頭ダムはターコイズブルーの水をなみなみと湛えており、激しく放流していた。ダム堰堤の終わりには釣り人と思われる自転車が5台と2台停まっていた。少し気分が下がったが、結局人を見たのは2日目と3日目に引き返してきた2人組×2だけだった。


千頭ダムの放水。ここから上流が寸又川本来の水量になる。

ダムからは河原と千頭森林鉄道跡を進んだ。天地索道の残骸と思われる箇所を過ぎたあたりで泊まることにした。


1つ目の隧道。ヘッドライトの使用を例外的に認めた区間。


渡渉。まだまだ水量が多い。念のため肩を組んで進む。

今回は出来るだけ山に入り込むため、GPSや時計を含む電子機器を使わないことにしていた(カメラは除く)。それもあり、太陽を見ながらおおよその時間を推測しようとしていたが、曇天で全く分からなかった。
幸い暗くなる前に食事等全てを終え、シュラフに潜り込んだ。

【Day2_4/28(日):寸又川右岸-天地索道残骸跡の河原➡寸又川左岸-大樽沢手前】
林鉄跡は所々見えていたが、到底辿れるものではないほど崩落していたため、河原を進んだ。


朝一の渡渉。下流部は意外と冷たくなかった。

少し進むと崖に張り付いた隧道があった。空荷で偵察に向かった。前半こそ普通に進めたものの、後半は匍匐前進でしか進めない程の狭さで、何とか通り抜けた。しかし自転車をばらしても通れない幅だったため、結局元の地点にまで戻り、川沿いと日向林道を使って迂回した。


崖に張り付くように入口を覗かせる隧道。


隧道内部から。


埋まりかけの隧道後半部。匍匐前進で抜けた。

寸又川左岸から右岸に移る日向林道の橋(寸又橋)の下は、水深のある短いゴルジュになっており、自転車を担いで行けないため、日向林道上をそのまま進んだ。日向林道では寸又川本流へ続く分岐となる隧道が見つけられず、そのまま逆河内支流に出るコルまで進んでしまった。引き返したのち、東側堰堤手前の吊り橋にちょうど降りることができた。


日向林道もそれなりに崩れていた。


東側堰堤前の安心感のある吊り橋。とはいえ一人ずつ渡った。

そこからは左岸の路盤を辿り、橋を渡り、大樽沢小屋手前までは難所なく進むことができた。この日も曇天で、感覚的にそろそろテン場を決めた方が良いだろうと判断し、大樽沢小屋の手前の河原でタープを張った。


路盤を辿る。崩落個所が多く、予想以上に時間がかかった。


真ん中の板は完全に腐っており、写真の見た目以上に怖い橋を渡った。渡った先には隧道があった。


大樽沢手前。少し進むと上部を走る日向林道と合流する。

タープを張ったものの、ご飯をたべてからも日はなかなか暮れなかった。もう少し進んでも良かったかもしれない。
曇天の谷では、時計なしで今何時なのか正直全く分からなかった。目の前にそれなりに良いテン場があり、魚もいそうだと、今日はここで泊まろうということになる。


山に近いと大量の蛭がいるため、河原に近い方が安心して眠れる。

日が暮れるまでは、各々焚火を囲んで話したり、釣り竿を出したり、豊かな時間を過ごした。ただ、魚影はなく、すれ違った釣り人にも「魚自体が全然いないよ」と死刑宣告のようなことを言われた。この日も晩飯に魚はなし。米と味噌汁を食べた。

【Day3_4/29(月):大樽沢手前➡諸之沢少しあと】
朝飯を食べる前に川虫で餌釣りをしたところ1匹だけ釣れた。8人に対して1匹だったので、全体の味噌汁に入れて食べた。ふんわりと魚の香りと味がして美味しかった。


1匹だけ釣れた。味噌汁鍋に入れて食べた。

朝一で大樽沢小屋を探索した。まだ中に入れる程度に形は保っており、各部屋を覗いた。人がここに住んでいたことを思わせるような生活感のある張り紙やポスターがあった。


2階(3階)建ての大樽沢小屋。


少しずつ朽ちているのだろう。


小動物の死骸。ハクビシンだろうか。

大樽沢のすぐあとはレールの残った橋があった。木の部分は総じて腐っており、慎重に渡った。バランスをとる必要があり、自転車と荷物は分けて運ぶことになった。


軌道の残る橋を渡る。大樽沢橋梁。


路盤がしっかり残っている場所もあった。


路盤の気配すらない箇所もあった。ロープを出すほどではないが、滑り落ちると大怪我をするトラバースは精神を削る。

寸又川は部分的にゴルジュ状になっていたが、そういった箇所は幸い路盤を何とか進むことが出来た。


自然に飲み込まれつつある。木が生えていると渡りにくかった。


ミズ(ウワバミ草)。美味しい食べられる草。たくさん生えていた。


諸之沢でも同様にレールの残った橋を渡る。ウルイが橋手前の斜面に生えていた。

諸之沢の橋を渡ったあとの崩落がかなり厳しく、ロープを出すことになった。川まで下りての下巻きや斜面高巻きも探ったが、どちらもより難しく、消失した路盤跡を進むことを決めた。少し進むと河原が出てきたため、この日はここで行程を終えた。


消失した路盤。下巻き、高巻きも厳しく、ここを懸垂下降でおりた。


大丈夫かなと思って川のそばに張ったタープ。夜雨が降り出した時はヒヤッとしたが、しばらくすると止み、増水することはなかった。

ここまで8人で来ていたが、GW前半で稜線から離脱予定だった4人は引き返すことを決めた。当初の計画では柴沢から合地山を越え、明河内から六呂場峠を越える予定だったが、到底たどり着けそうもない。そもそも柴沢すら怪しい進み具合だった。

【Day4_4/30(火):諸之沢少しあと➡大根沢小屋を過ぎた左岸林道上】
翌朝、引き返す4名が前日の懸垂箇所を登り返すのを見届け、先へ進んだ。路盤の崩壊は激しく、なかなか進まなかった。


素直に進めない区間が続いた。このあと河原へ降りた。


小根沢直前は河原沿いを進んだ。


小根沢小屋。

小根沢から先は、地形図に破線すらない区間となる。地形図からの情報、事前に調べた情報、これまでの進み具合から、200m近く標高を上げて左岸林道に一時的に出ることに決めた。


小根沢のIビーム橋を渡る。上から見る小根沢は思った以上に険谷で、細く深い谷の上を渡った。

インターネットにより様々な記録が読める今では、先がどうなっているのかが全く分からない場所というのは少ない。寸又川沿いの小根沢-栃沢間は10年以上前に歩いた人はいるものの、これまでの状況を鑑みると、引き返す可能性がかなり高いと思われた。
だからこそ、分からないからこそ、進むべきなのだが、一方で先が見えない不安につぶされそうになる。その不安に耐えることが出来なかった結果、左岸林道にエスケープすることを選んだ。どんな所でも進める“したたかさ“があれば、食料を現地で調達できる技術があれば、寸又川沿いに進むことを選べたのかもしれない。
地図や情報があっても不安なのだから、地図すらない時代に辺境を旅した人々には憧れる。

当時はそんな思いを巡らす余裕はなく、小根沢の小さい尾根から左岸林道を目指した。到底ザックと自転車を同時に担いで行ける斜度ではなく、分けて往復した。


小根沢北東方向に延びる尾根から左岸林道を目指す。

小根沢から上がった直後の左岸林道は穏やかで、所々自転車にも乗れる程度だった。大根沢小屋はほとんどの部屋が蝙蝠の糞だらけだったが、一部屋だけ非常にきれいで生活感があった。昨日まで人がいたと言われても納得できるほどで、その雰囲気が怖かった。


大根沢小屋。


大根沢小屋付近の左岸林道にて。穏やかで自転車に乗れる場所もあった。


広々として平らな良いテン場だった。

寸又川は全体的に薄暗く陰鬱としていたが、左岸林道は太陽の光も入り、それだけで幸せだった。

(8泊9日の旅の記録、続きは後編にてお届けします。)

 

※自然の中でアクティビティを行うためには、十分な装備、知識、経験が必要です。事前の準備を徹底したうえで、安全に注意してお楽しみください。

遊びのMVPアイテム

ゴージュタープ

沢に長期で泊まる時は毎回MVPに選ばれる逸品。4日目の強い雨の中、タープの下での焚火は暖かかった。地形や使い方に合わせて様々な形態で使える自由度の高さ、自然と地続きな解放感、家に帰って陰干しする時に香る染みついた焚火の匂い、どれも素晴らしい。

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執筆者:生産管理課&商品開発課 衣川 佳輝

入社年:2022年

自転車の後ろに登山用ザックを積み、国内外季節問わず、長期間のツーリングや担ぎや登山をメインに遊んでいます。山スキーや狩猟(罠猟)や畑もトライ中。

 

 

 

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