自転車とともに寸又川と林鉄跡を辿り光岳を越えた、8泊9日の2024年GW山行。山に入り込むことをコンセプトにした旅の記録、後編。
前編はこちら:自転車とともに寸又川/千頭森林鉄道跡から光岳へ -前編-
■アクティビティ日
2024年4月27日~5月5日(後編:5月1日~5月5日)
【Day5_5/1(水):大根沢小屋を過ぎた左岸林道上➡寸又川左岸栃沢出合い付近】
大根沢小屋付近は道も良かったが、大根沢本流に近づくにつれて崩落が多くなった。左岸林道でもロープを出すほどではないが精神を削るトラバースが無数にあった。
左岸林道も数えきれないほど崩落している。
自分が崩落を越えるのに手間取っている間にメンバーが捕まえていたマムシ。
大根沢直前の崩落。トラバースできず一度寸又川の高さまで降りて登り返した。
左岸林道は歩きやすい場所は歩きやすいが、単調でつまらない上に、ツアーコンセプトである山に入り込むことから少しずれてしまうように感じていた。そこで、栃沢からは再び寸又川沿いに進むことに決めた。
ただ、この判断には小根沢-栃沢間で左岸林道を使って早く進めたことも寄与しているので、左岸林道に上がった判断を一概に間違いとは言えない。
栃沢へ降りる直前の寸又川左岸林道。雨は本降りになっていた。
天気は悪く、栃沢出合に下りる地点では雨もザーザー降りになっていた。ここ数日、夕方にパラパラ降り始め、テン場につく頃には止んで太陽が顔を出すサイクルだったので、今日も同じだろうと勝手に思い込んでいた。しかし雨はひどくなる一方だった。
急な尾根を下り、栃沢出合いについた。全てが濡れており、寒かった。焚火を起こそうとしたが、なかなかできない。いつもの3倍近い時間をかけて何とか火を安定させ、米を炊いて食べた。
強い雨の中タープの下で焚火おこし、米を炊いた。
日暮れに近づくほど雨脚は強くなり、薄暗い中見える水位は、遠くからでもわかる程度に上昇し、水も濁り始めていた。引き返した4人が無事に戻れているか心配だった。
この先、林鉄跡は進めるのか、林鉄跡がだめな時に寸又川がゴルジュだったらどうするのか、そもそも明日も雨は降り続けるのか…。先行きの見えない不安から、気持ちは弱くなり、もし明日の朝も同じくらいの雨が降っていたら撤退しようと話し合った。
【Day6_5/2(木):寸又川左岸栃沢出合い付近→釜ノ島】
起きると雨はやんでいた。水位は苔を見る限り10cm程度高くなっていたが、場所を選べば渡渉は可能だった。朝一で竿を出し、川虫で餌釣りをしたが、1匹しか釣れなかった。左岸林道でたくさん採ったタラの芽とアマゴ1匹を、蒸し炒めにして4人で分けて食べた。もっと食べたいが、釣れなければ食べられない。毛鉤やルアーも持ってきていたが、とにかく食べたかったため効率の良い餌釣りを選んだ。しかしそれでも釣れなかった。
アマゴとタラの芽。
寸又川。少し水位は高くなっていたが、濁りはそれほどなかった。
序盤は川沿いを進む。比較的穏やかな渓相。
久しぶりの隧道。なお、出た先は崩落しており進めなかったので戻って河原に下りた。
十五平ホツ付近はゴルジュになっており、路盤を進んだ。ここは地形的に飛び出した尾根で左岸林道から離れているため、崩落等の土砂流入の影響を直接は受けにくいのだろう。十五平ホツを過ぎると穏やかな渓相となり河原を進んだ。一方で、林鉄跡はほぼ原形がなく、所々名残が見える程度だった。
十五平ホツが終わった付近。開けた河原になる。休憩する時はまず体中についているヒルを取った。
水量は減ったが、まだ場所を選ばなければ渡渉できない。
路盤は原型がなく、壁に張り付くように隧道だけが残っていた。
釜ノ島直前。穏やかな渓相。
ジムグリの幼蛇。かわいかった(小さくて食べるほどの身もなかった)ので食料にはならなかった。今思えば食べても良かったかもしれない。
釜ノ島小屋にて左岸林道と林鉄跡は合流し、寸又川の川面との高低差も小さくなる。寸又川は釜ノ島から先は小さい滝を擁するゴルジュとなるため、路盤に合流した左岸林道に上った。釜ノ島小屋は立体的で大きな小屋だった。
釜ノ島小屋外観。こんな奥地にあるのかというほどに立派な小屋だった。
荒廃してる部屋も多い。ほとんどの部屋が蝙蝠の糞で満ちていた。
離れのトイレ。
釜ノ島小屋を一通り探索したのち、左岸林道に戻り、米を炊いて食べた。この日のおかずは、左岸林道で獲ったマムシ。これまで青大将しか食べたことがなく、蛇は生臭くて食べる箇所も少ないお楽しみ食材くらいに思っていたが、マムシは旨味が凝縮されていた。噛まれたら即病院に行かなければならないことは分かっていても、今後も獲りに行きたくなるほどの美味しさだった。
前日の雨で全ての物が濡れていたので乾かそうとしたが、干している間に太陽が顔を出すことはなかった。
釜ノ島小屋少し先の左岸林道から見下ろす寸又川。ゴルジュ地形で小さな滝もあり、担ぎでは越えられそうにない。
濡れたシュラフや様々な装備を乾かす。しかし、太陽は見えず、夕方また雨がぱらつきだしたので、それほど乾かすことは出来なかった。
マムシの皮を剥ぐ。
遠赤外線でこんがり焼いて骨まで食べた。旨味が凝縮されていた。
炊いた米。4人なので4等分している。
釜ノ島直後の崩落。下巻きや崩落沿いはかなり厳しく翌日大きく高巻ことになった。寸又川沿いは自転車を担いだ状態で進むことは難しいゴルジュ地形となっていた。
【Day7_5/3(金):釜ノ島→柴沢】
朝一で左岸林道の崩落を越えるために標高差60mほど上がり高巻いた。足場がゆるい小さな谷を肩がらみ懸垂で降りると、崩落のすぐ先にでることができた。
釜ノ島直後の崩落の高巻き。裏手を高巻いて小さな尾根を越えて、ロープ長合計で80mほど肩がらみ懸垂で降りた。
崩落を越えた先から撮った写真。
釜ノ島直後の崩落さえ越してしまえば、柴沢まで難所はなかった。昼頃には柴沢吊り橋に到着した。
パンク修理で休憩。押し担ぎでも空気が入っていた方が自転車は扱いやすいので、パンク修理をする。尖った石が多く、乗らなくてもパンクすることがあった。
立派な橋だった。
崩落を越えた後、柴沢まで難所はない。太陽の光も差し込み穏やかな場所も多い。
崩落地点も鹿の獣道が明瞭についており、担いだまま通れる程度には歩きやすい。
この時速20km制限看板がその役割を伝えることはもうない。後ろには林鉄で使われていたと思われるレールが刺さっている。
椹沢林道分岐。
光岳へ詰める柴沢吊り橋。全体的に左に傾いている上に、真ん中の板は朽ちており足を乗せるとそのまま踏み抜く箇所もある。
気持ちよいくらいに晴れたので、2日前の雨で湿っている全ての装備を乾かした。晴れると気持ちも晴れてくる。
中途半端に先に進んでしまうと、大井川源流部原生自然環境保全地域に入り、炊事等が難しくなるため、この日は柴沢吊り橋前で行程を終えた。
翌日光岳避難小屋まで上がるために、自転車だけ事前に稜線まで上げてデポした。急登ではあったが、古くは多くの人が歩いた道であるからか、明瞭に登山道が残っていた。木の種類を書いた看板も多く設置されていた。
少し上流部にある千頭山吊り橋。こちらもボロボロだった。
自転車をデポした後、柴沢吊り橋に戻り、渓流釣りを楽しんだ。これまで沢の中を歩いていても魚影が走ることは無かったが、柴沢では魚影が走るようになった。そして魚がいれば餌釣りで釣れた。
柴沢で釣れた岩魚たち。
寸又川は柴沢から上は魚影が走る。
沢沿い最後の日は、8匹釣れたおかげで豊かな晩御飯となった。逆にこの日までほとんど釣れず、米と味噌汁という日が多く、少しひもじい思いをしていた。それもまた一興ではある。渓流釣りについても、もっと知識・技術ともに向上することで、より山に長くいれればと思う。
アライグマの毛を使った毛鉤。なお、この毛鉤では1匹も釣れなかった。
柴沢での渓流釣りでは、魚がある程度釣れて余裕ができたため、昨シーズンの狩猟の罠猟で獲ったアライグマの毛から作った毛鉤で釣ることを試みた。しかし、全く釣れず、結局餌釣りに戻した。まだまだテンカラの修練が足りない。餌があると餌釣りに甘えてしまう。
夜は最後のタープ泊になるのかと感じながら眠った。標高の高さもあり、少し肌寒かったが、よく眠れた。
【Day8_5/4(土):柴沢→光岳避難小屋】
光岳周辺は大井川源流部自然環境保全地域に指定されており、焚火や採集ができないため、柴沢から稜線に上がってしまうと、これまでのような泊まり方はできない。そのため、光岳避難小屋に泊まることを前提に進んだ。ツアーコンセプトからすると、この日が実質的には最終日である。
はじめの急登を終えると、あとは登山道の名残を辿りながら快適に進むことができる。
倒木が多かったり急斜面で時間のかかるところもあるが、所々で地図を出せば、順調に進んだ。
標高を上げるのは身体的にしんどかったが、道があるおかげでこれまでにないほど進んだ。百又沢の頭の少し前から雪が出てきた。
百又沢の頭付近にて。
光岳避難小屋は近い。
夕方に着いた光岳避難小屋は人が多く、中は濃い食料の匂いに包まれていた。山というよりも文明だった。ザックの奥にしまっていたMSRのガソリン火器を取り出した。壁に囲まれていると安心感もあるが、窮屈でもあったので、外に出て、米を炊いた。
急激に沸き上がったガスのため夕焼けを見ることはなく、すし詰めの避難小屋に戻り眠った。外でタープを張って寝るくらいのこだわりがあっても良かったかもしれない。
夕食は外で食べた。この後ガスに包まれた。
【Day9_5/5(日):下山。道の駅遠山郷】
日が出てから起きる生活がしみ込んでいたため、起きると避難小屋の人たちは半分以上もう出発した後だった。朝飯を食べる前に山頂に向かった。朝焼けが美しかった。沢沿いにずっといたため、久しぶりに太陽が昇る瞬間を見た。
遠くに臨む富士山。
光岳山頂にて。
避難小屋に戻り、朝食を食べ出発した。もう避難小屋には我々以外誰もいなかった。登山道はしっかりついており、道標に従いぼんやりと進んだ。
山頂付近はまだ雪が残っている。
正面の尾根はしらびそ峠。2年前はあちらからこの斜面を眺めていた。
易老渡からは自転車で移動する。ようやく乗れる。
日本のチロル下栗の里。
昼頃には易老渡に到着し、自転車にまたがって走り始めた。遠山川沿いなので、ほぼ下りかと思っていたら、そんなことはなく標高1000m近くまで上がった。日本のチロルと呼ばれる下栗の里を通り過ぎ、国道に出た。道の駅遠山郷のそばのスーパーで味の濃い惣菜を食べた。温泉に入り、翌朝自転車で飯田線平岡駅まで走り、輪行して帰宅した。
これまでの自分がやってきたツアーがあったからこそ湧き出てきたツアーだった。明るくなったら起き、岩魚や山菜を採りながら、地図とコンパスを見ながら進み、焚火で米を炊き、暗くなったら寝る。ツアーコンセプトである「より山に入り込むこと」ができたように思う。最後まで一緒に来てくれた班員と、寸又川の岩魚、タラの芽、ミズ、ウルイ、実山椒、マムシに感謝したい。
※自然の中でアクティビティを行うためには、十分な装備、知識、経験が必要です。事前の準備を徹底したうえで、安全に注意してお楽しみください。
この2枚のレイヤリングで9日間動き続けた。林鉄跡や左岸林道での崩落越えで岩や木にズリズリと擦り付けるようなこともあれば、寸又川で腰までつかる冷たい渡渉も何度もあった。丈夫さ、水離れの良さ、可動性、いずれも申し分ない。
ストームゴージュアルパインパンツ
執筆者:生産管理課&商品開発課 衣川 佳輝
入社年:2022年
自転車の後ろに登山用ザックを積み、国内外季節問わず、長期間のツーリングや担ぎや登山をメインに遊んでいます。山スキーや狩猟(罠猟)や畑もトライ中。
(編集注:前半で離脱した4名は、離脱翌日に全員無事に下山しています)