短い時間でより遠くへ移動することの充実感、自分の能力に深く向き合う面白さ。
トレイルランにはふつうの登山とはまた違った山の楽しみがあります。
だからこそハマる人の多いトレイルラン。人によっては、より過酷な国内外の長距離レースに興味が向かうことも少なくありません。
一方で、標高の高い山岳地帯における長距離レースは、昼夜の気温差や稜線の厳しい風、突然の荒天下でも行動を続けなければならず、おのずと装備選びにこだわる必要性が高まります。
全ての装備を長時間背負って走っても負担の少ない重量に抑え、かつ、いつ起こるか分からない不測の事態にも対応できるよう、取捨選択が欠かせないからです。
では、どのように装備を選べばよいのでしょうか?
一番良いのは自ら経験を積んで徐々に装備を厳選していくことですが、それでもはじめのうちは分からないことが多く不安だと思います。
そこで本日は、有名な日本屈指の山岳レースTJARの完走経験もある、長距離レースの大先輩、岩崎勉さんにお話を聞いてみましょう。
岩崎さんは、現在57歳のトレイルランナーです。初めてのトレランレースは富士登山競走。その時が初めての富士山登頂だというので驚きですよね。
岩崎勉さん(遠くに見えるのは左:カンテガ6782m、右:タムセルク6608m)
数年後、最初で最後のつもりで参加したハセツネで総合17位という好成績を残し、トレイルランの世界に引き込まれていきます。
国内最高峰の長距離山岳レースTJARにも複数回出場し完走も果たされた後、国内だけでは飽き足らず、ゴビ砂漠400kmを駆け抜けるUltra Gobi Raceも2度完走。
そして先月には、ヒマラヤ山脈を西から東へ横断するグレートヒマールレースを終え帰国されました。
グレートヒマールレースは総移動距離1,700km、累積標高差90,000m、所要期間2か月という、長距離レースの中でも群を抜いたスケールのレースです。
そんな超長距離レースだからこそ、想定外の連続だったようで……。
レースについて、地図などの資料をもとにお話を伺いました。
―おかえりなさい。想像を絶するようなレースを、よくご無事で終えられましたね。
いろいろ大変だったかと思います。詳しく聞かせてください。
ありがとうございます。そうなんです。気象条件と衛生環境のダブルパンチでした。
まず、地理的要因と標高が高いことからレース序盤のエリアは低温かつ非常に乾燥していまして。
加えて、ヤクや牛、馬、羊、ヤギなど動物がたくさんいまして、そのフンがあちこちに落ちていて、それが乾燥して細かくなって砂と一緒に舞い上がって……。
その影響で呼吸器系のトラブル、私の場合は咳がずっと続く状態でした。
私だけでなく選手のほとんどが、程度の差こそあれ呼吸器系トラブルに苦労していました。
ヒマラヤ西部の乾燥地帯。
―日本とは全然違う環境なんですね!一時は体調を崩されたとの情報もあり心配していたのですが、無事にレースに復帰されましたよね。社内でも注目しておりました。
そうでしたか! 今回一時離脱した直接的な原因は、激しい食中毒だったんです。
その日の深夜から下痢と嘔吐が20回ほど続いて動けなかったのですが、夕方には何とか止まったので翌日からレースに復帰しました。
ただ食欲が全く湧かず、ほとんど何も食べられないまま2、3日動いたものですから、筋肉とか自分の体を分解しながらエネルギーを生み出している状態でした。
このままだとおそらく本当に動けなくなると……。
離脱することなく続けたかったですが、最後まで行きたい思いがありましたので、苦渋の選択ではありましたが、いったんここで離脱して回復させてから復帰しようと考えました。
この大会の面白いところが、レース期間が長期にわたることもあり、途中での離脱復帰が公式に認められているんです。
なので私も、ジープや飛行機で移動してカトマンズの医療機関で診察を受けたりして、アンナプルナからレースに復帰しました。
食中毒発症から3日目、一時離脱を決断後間もなくの1枚。
―アンナプルナは景色がすごく良いところですよね?
そうですね!天候にも恵まれ絶景を楽しみました。
前半のビューポイントがアンナプルナ、後半がレンジョ峠という予定でした。
レンジョ峠からはエベレストやローツェ、マカルー、チョ・オユーが一望できるのですごく楽しみにしていたんですが、残念ながらガスで全く見えず……。
もう1回来いと言われているのかなと思いながら、ガスガスの中、写真を撮りました。
アンナプルナの絶景。
ガスガスで絶景が見えなかったレンジョ峠。
―その他、印象に残った出来事はありますか?
対応に苦慮したのが、事前に決められていたスケジュールが何度も直前に変更になったことです。日本のレースだったら、スタートとゴールの場所はあらかじめ選手に伝えられていますし、時間もスタートや関門が決められていると思うんです。
でも今回は、翌日のゴール地点やルートが変わったりスタート時間が急遽変更になったりすることが結構あり……。
7時スタートと言われていて、そのつもりで準備をしてスタート地点に行ったら、当日に6時半に変更になっていてもうみんないなかった、なんてこともありました。
あと衝撃的だったのが、事前のブリーフィングでこの日のゴール地点には宿がないかもしれないと説明されていた日があったんです。
実際に行ってみたら本当になくて、周りを見てみたら地面にストックで矢印が描かれていて……。
要所要所の分岐に書かれた矢印を見落とさないようにたどって行ったんですが、ついにそのマーキングが見当たらなくなりまして。
その後、先頭集団に日本人選手がいることが分かり、衛星通信デバイス(必携装備)のメッセージ機能を使ってやり取りし、宿泊予定の村の名前を教えてもらいました。
ところが出国前に用意していたナビゲーションアプリにはその村の記載がなかったんです。
現地でネパール選手に教わりインストールしていた地元の地図アプリにようやく載っているレベルで、しかもその村へ行くにも道が何通りかあって、本当にこっちで合っているのかと思いながらなんとかたどり着いた日がありました。
ちなみにその日は結局、参加者が全然別の3か所に散り散りになってしまいました。
―あらゆるものを駆使しながら進んでいくのですね。世界から選手が集まる長期間のレースだと、みなさんの文化や習慣の違いも表れそうです。
同様にウエアにも選手それぞれの工夫があるのではと思います。レースを左右する要素でもあるでしょう。岩崎さんはどのようなウエアでレースを走られたのでしょうか?
今回はウルトラゴビの時のウエアリングを基準に準備した結果、それで十分な快適性を得ることができました。
ウルトラゴビと今回で大きく違うのは最高標高で、ウルトラゴビは4,000mを少し超える程度だったのが今回は5,755mまで上がること。
ですが、ウルトラゴビのレースエリアは緯度が高く大体北海道と本州の間くらい、しかも開催が10月でした。
一方で今回、緯度は九州と沖縄諸島の間くらいで開催も5-6月、気温は下がってもマイナス20度程度ということで、ウルトラゴビと同程度のウエアで問題ないと考えました。
岩崎さんとともに今回のレースを戦ったウエア一式。
―それでもマイナス20度まで下がるのですね。その割には全体的にかなり薄着に見えますが、どのように使い分けていらしたのでしょうか?
ドライレイヤー®ウォームのTとドライレイヤー®ベーシックのブリーフかボクサー、ラミースピン®エアジップTとスカイレーサーショーツ(※)もしくはリカバリータイツが基本の組み合わせでした。
たとえば朝のスタート時とか気温が低いときはこれにプラスしてドライレイヤー®ウォームアームカバーと手袋とスカイトレイル®ブレスキャップを併用し、気温が上がったり身体が温まったりしてきたらそのあたりを外して、体温調節をしていました。これで大体標高4,000mくらいまでは天候が悪くなければいけました。
(※現在は生産終了しています。スカイレーサーショーツは現行モデルのスカイトレイル®ブレスショーツに相当します。)
レース中のレイヤリングについてもお伺いしました。
ただ、5,000mを越えたり天候が悪くなったりするとアウターを着てしのぐんですが、条件によっては日中でもマイナス10度を下回ってきますので、そういう時はドライレイヤー®ウォームTの上にベースレイヤーを重ね着して、エバーブレス®レグンも着こんで対応していました。
頬とか耳とか顔が痛くなるので、高所の峠を越えるときにはドライレイヤー®ウォームバラクラバも使用しました。
あとはロッジについた後、寝るとき、朝の出発までの時間などで保温着のポリゴンULもほぼ毎日着ていました。
トップスレイヤリング
動き始めで寒さを感じる場合はドライレイヤー®ウォームアームカバーとグローブを併用。
また、高所で風雨がある場合は、ドライレイヤー®ウォームバラクラバ・メリノスピン®バラクラバを併用。
ボトムスレイヤリング
ルンバサンバ、5159mにて。ウエアリングや岩崎さんのご様子からレースの厳しさが伝わります。
―ベースレイヤーの重ね着は、岩崎さんオリジナルの工夫ですね!細かな温度調整がやはり大切なんだと感じました。厳選されたウエアの中からMVPを選ぶとするとどれですか?
ドライレイヤー®ウォームとラミースピン®エアジップTですね。
ラミースピン®エアは、ジップがあることで体温調節ができて着ていられる温度の使用範囲が広がります。ドライレイヤー®ウォームは、半袖とアームカバーを組み合わせれば長袖に換わり、かつ温度調整がしやすくなります。
ザックとの摩耗で肩の生地が薄くなるくらい着ましたが、汗をかいても洗濯してもすぐに乾いてくれます。
―ドライレイヤー®にはウォームタイプの他にベーシックタイプ、クールタイプがあります。
どちらかというとランのシーンではドライレイヤー®クールやドライレイヤー®ベーシックを使われる人が多いのですが、岩崎さんはドライレイヤー®ウォームを持って行かれたのですね?
はい、日本でもそうなんですが、私はドライレイヤー®ウォームタイプを中心に使っています。
途中で荷物を預けられるようなときは当然使い分けますが、基本的には荷物を少しでも軽くコンパクトにする必要があるため、1着だけ選ぶとなると私はドライレイヤー®ウォームの半袖という判断をします。
寒さ対策で言えば長袖の方が良いんですが、工夫次第で長袖と同等の効果が得られるからです。
ドライレイヤー®ウォームタイプを選ぶ理由としては、これが一番暖かいと言いますか、雨に濡れた時の濡れ感が少なくて寒さを感じにくいんです。
―標高の高い山域で、しかも2か月間走る今回のレースでは寒さや濡れ対策を重視してドライレイヤー®ウォームを選択されたということですね。
今回のレースで、実際にドライレイヤー®を着ていてよかったと思ったシーンはありましたか?
レース序盤の4月極西エリアは極度に乾燥していて粉塵が舞うほどだった一方で、レース復帰後の5月中央~東部エリアは意外に雨天日も多くありました。
ドライレイヤー®があったから、そういった条件にもかかわらず体温保持に対して安心してレースに挑むことができました。
幾度も暴風雨の日本アルプスの稜線で行動した経験がありますが、実はドライレイヤー®を知る前、高所での行動中に天候が悪化し、低体温症になりかけたことが1度だけあるんです。
でも、ドライレイヤー®を着るようになってからは、そういった条件でも身の危険を感じることなく行動できています。
そういう実績があるからこそ、今回のレースでも安心感を得られました。
―なるほど。やはり、厳しい状況もたくさん越えて、グレートヒマールレースの舞台に立たれていらっしゃるんですね。そんな百戦錬磨の岩崎さんにとって、ドライレイヤー®はどんな存在ですか?
季節や場所を問わず自然の中、特に高所に入る際は必要不可欠な「命を守る」存在です!
ついにゴール!カンチェンジュンガ・ベースキャンプ5143mにて日本人出場者(左)と、お世話になったネパール人ガイド(右)とともに。
―ありがとうございました!
今後の展望や、超長距離レースを志す方へのアドバイスをお聞かせいただければと思います。
まずは今後の目標ですが、乾燥・高所・低温・不衛生などヒマラヤの環境に十分対応しきれなかったので、対策を考えて再トライしたいと思っています。
楽しみにしていたレンジョ峠からの展望もガスで見られなかったので心残りでもありますしね。
ちなみに次回のグレートヒマールレースは3年後の2027年10-12月予定です。
超長距離レースを目指されている方には、いろいろな経験を積み重ねてほしいと思います。
国内にも良いロングトレイルが全国にたくさんあるので、まずは無雪期からかと思いますが、季節を変えて様々なエリアに足を運んでみてください。
また、海外にもどんどん挑戦してほしいですね。日本では経験できないことを体験できますし、新たな発見が得られると思います。
標高5755mタシラプツァ。今回の最高標高点であり、クレバスやブルーアイスをロープを使用して通過するなど、技術的にも最高難易度のエリアだった。
いかがでしたか? 岩崎さんの非日常的すぎる体験談、他にもいろいろなお話をお伺いしたのですが、長くなってしまうのでまた別の機会に……。
装備についてはまるごと真似をすることが正解ではありませんが、岩崎さんの意見は大いに参考にしていただけるはずです!
みなさんなりの厳選した装備で不測の事態に備え、安全に長距離レースに挑戦してみてくださいね。
レースの完走証とファイントラック代表金山とともに。
岩崎勉
大阪府東大阪市在住。
1993年富士登山競走出場を機にトレイルを走り始め、ニュージーランド、マレーシア、中国、ネパール、北海道・知床~九州・屋久島まで国内外の山々を駆け巡っている。出場レースは延べ330超。
近年は超長距離トレイルランナーとして、2016年トランスジャパンアルプスレース完走。ウルトラゴビは2017年(日本人初)に続き2年連続完走。2024年グレートヒマールレース完走。