年越し山行では途中の爺ヶ岳で撤退することになり、遥か遠くだった鹿島槍ヶ岳。2月4連休に同じメンバーで山頂を目指した。
今回の登山コンセプトは山頂第一で進むこと。年越しでは全て雪洞泊(もしくはイグルー)の方が上位概念に来ていたが、コンセプト変更により、装備はテントとなり、ルートは赤岩尾根に変更した。
■アクティビティ日
2025年2月8日~2月11日
年越し山行の遊び記録はこちら!
【Day0_2/7】近年稀にみる大雪は関西にも迫り、終業後の移動は、雪による名神/新名神高速道路閉鎖との追いかけっことなった。京都から下道を覚悟していたが、思いのほか進むことができ、中津川で仮眠をとった。
当然、後立山も大雪であり、車の中では既に他の雪山へ転身する話が出ていた。しかし、他の山はどれもしっくりこなかった。年越しで雪洞が破壊されたような強烈な体験を再び求めているのだろうか。
その時胸が一番高まる山は、鹿島槍ヶ岳だった。
高速道路で表示される「ここで出よ、雪通行止め」の恐怖。
【Day1_2/8】
降り続ける雪により道路状況は最悪で、麓の駐車場に着いたのは正午だった。早朝から山に入り、1日目は高千穂平まで行こうと話し合っていたはずだが、既に行程は押していた。
大谷原駐車場。雪は深く、駐車場ではスキー場から帰る車が1台スタックしていた。
大谷原の林道は、序盤微かにスキーとスノーモービルの跡が残っていたが、徐々に雪は深くなり、先頭空荷の交代でラッセルをまわした。赤岩尾根取り付きに16時到着。しばらく急登が続くため、テント泊は難しいと判断し、林道終点でテントを張った。
林道終了地点にて。振り返って。
カミナドーム4とスノーフライ。
今回テントを選んだ理由は、①雪洞やイグルーを作る時間が不要でより前に進むことができ、②寝袋や装備が濡れにくく、③暖かい(シュラフを軽量化できる)からである。
しかし、テント適地がないために前へ進めないのであれば、「①より進めること」と反することになり、本末転倒ではないかと話し合った…。が、それは暖かく快適なテントの中だからこそ話題になったのかもしれない。
実際には、カミナドーム4を張れる程度の場所は、急登の途中にも何回かあったので、ギリギリまで登ってもよかったと翌日思った。
〈1日目装備メモ〉
・シュラフレイヤリング➡今回はシュラフカバー1枚だったが、シュラフカバーを2枚使うことで、透湿防水層の間で結露させ、ダウンやファインポリゴン®の層を濡らさないことができるのではないか。
【Day2_2/9】
朝飯を食べている最中、改めて地図を見た。年末年始の進まないイメージが付きまとい、山頂はたいへん遠く感じられた。
「山頂に至れないのであれば、他の山に行った方がよいのではないか?」
そんな言葉もメンバーからでた。コンセプトを山頂第一としたための弊害だ。
2日目の朝。ヘッドライトをつけ、登りはじめた。
年越しより根雪がある分歩きやすい。
まだ暗い4時半から登った。夜も雪は降り続いており、先行者の跡もなかった。山頂には結局たどり着けないかもしれないという思いで、弱気な歩き出しだったが、歩き始めると気持ちが入り、少しずつに標高を上げた。最近の昼休みにやっている懸垂とスクワットが効いているのかもしれない。
スノーシューを履いていても沈む場所はよく沈んだ。
1時間100mアップで刻み、12時に高千穂平、15時頃に2200m台地に到着。高千穂平あたりから天気は回復し、太陽がたまに顔を見せた。このまま進めば、日が暮れるギリギリに冷池山荘の冬季避難小屋まで到達できそうだったが、年越しの後立山主稜線の暴風が全員の脳裏をよぎった。
翌日以降の行程を話し合った上で、ここに留まり、主稜線ではテントを張らないことにした。
周りを雪の壁で囲まれ、風もなく静かだった。
木に囲まれた2230m地点にテントがすっぽり入る縦穴を掘って、テントをたてた。断続的に風は吹いていたが、壁で囲まれているおかげでテントは静かだった。
〈2日目装備メモ〉
・テント内から雪を取れるようにテント底に穴をあける?
・お尻部分のみの防水シートを作る。
【Day3_2/10】
必要最低限のものを持ち山頂を目指した。標高2200mを超えても雪は深く、一方で風の通る斜度のある場所は硬く叩かれており、主稜線上でもアイゼンとスノーシューを何度かスイッチしながら進んだ。
主稜線手前。ここは雪深くスノーシューをはいていた。
奥に見えるのが冷池乗越。
赤岩尾根の最後の部分は、冷乗越へ直接トラバースすると雪崩れそうだったため、直登した。稜線に出る前に真っ白なライチョウがいたが、カメラを出す間もなく、どこかへ行ってしまった。風は強かったが、晴れてきていた。
赤岩尾根合流地点から冷乗越へ下る。
冷乗越付近から。奥には年越しで登った爺ヶ岳が見えた。
主稜線にでても雪深く
東側は雪庇が発達している
布引山(2680m)付近では風も弱まり、ガスも切れ、鹿島槍ヶ岳山頂を臨めたが、あと少しというところで天候が急激に悪化し、数m先も見えないガスと暴風になった。
布引山を過ぎる。風で叩かれており、この付近はアイゼンで進んだ。
鹿島槍南峰山頂にて。
バラクラバとゴーグルに守られない頬の微妙な隙間が、粉雪で叩かれ痛かった。12時半に鹿島槍ヶ岳南峰に到達。山頂標識を掘り出した。北峰に行けなかったのは少し心残りではあるが、また行こう。
風と雪で行きの踏み跡はほぼ消滅し、都度方角を確認しながら戻った。山頂から戻る初手で、牛首尾根に間違えて入りかけた。それ以降も計2回間違った方向へ下りかけ、コンパスを見て方向を修正した。それほどに視界はなく、風が強かった。
冷池小屋。東面はほぼ埋まっていた。
冷池小屋付近まで戻ると風は落ち着いていた。冷池小屋には冬季避難小屋があると聞いていたので入口を探したが、見つけられなかった。今回は利用するつもりはなく、軽く周囲を見て回っただけに終わったが、ここに泊まるつもりだったら血眼になって周囲を掘り返すことになっただろう。
教訓として、冬季避難小屋の入口は事前に調べておいた方がよい。
テント内にて。山での反省点、装備について気付いたことをメモする。
〈3日目装備メモ〉
・カミナドーム4の両側にテント吹き流しをつけられないか。
【Day4_2/11】
高気圧がさらに張り出してくるため好天になるかと思っていたが、後立山はそんなに甘くなく、夜間の雪は4日間で最も降っていた。夜、何度も壁の圧迫を感じて起きて、テントの壁を蹴って拡張していたが、4テンの居住空間が3人入らない程度にまで小さくなったため、深夜外に出て、テント周りの除雪をおこなった。テントガイラインがおもったより効いていた。
天気図的には悪くなかったため、後立山ではこれでも好天の部類に入るのかもしれない。
テント用縦穴を掘った時は雪が降っておらず、天気も回復予報だったため、まあ大丈夫かと思っていたが、思った以上の降雪だった。横穴の方が雪洞テントには向いている。
標高を下げると天気も落ち着いてくる
太陽がまぶしい。林道終点で山スキーに来ていたパーティとすれ違った。
斜度のある新雪の下りは早かった。標高を下げれば下げるほど天気は良くなり、林道を歩いていると太陽がまぶしかった。
【年越しと2月の鹿島槍登山を通して】
テントはとても快適だった。暖かく、濡れることもなく、風も吹きこんでこない。ただ、年越しの5泊6日雪洞泊と比べると何か物足りなかった。
「山に入り込むこと」、それが山行をおもしろくする一つの要素だと思う。積もった雪もその山の一部とするならば、雪洞は文字通り山に入り込み、山の一部のようになれる。隣り合わせすぎて、日を経るごとにあらゆる装備が濡れてしまってはいたが。
テントの薄い布2枚は、物理的にも精神的にも、我々を山と隔てていたのかもしれない。
いつか鹿島槍ヶ岳の先へ、牛首尾根へ進み、和田城志さんの文章で読むような黒部の中に入って行きたい。またこのメンバーで。いくつか装備の課題も見つかったので、改善を試みてみよう。
ポリゴンミトン
濡れても保温力低下が少ないファインポリゴン®と、透湿防水生地を組み合わせているミトン。雪洞作りや降雪中の行動が続くと、たいていのグローブは濡れてしまい、ほっとくと翌朝カチコチに凍る。一方で、ポリゴンミトンは凍ってもしなやかで、内側のグローブは濡れずに温かいので、年越しも2月4連休も、初日から最終日まで使い続けていた。指先の細かい動きを要求されないならば、長期山行のアウターグローブは今後もポリゴンミトンを選ぶ。
メリノスピン®バラクラバ
後立山主稜線の強い風の中ではこれがなければ頬が凍傷になっていただろう。風の強い中で、息の上がる行動をしなければならない時、ブレスルーターはとても重宝した。
執筆者:商品開発課&生産管理課 衣川 佳輝
入社年:2022年
長期間の自転車ツアーや登山や山スキーをメインに遊んでいます。日々は狩猟採集や畑やシクロクロスも。24-25シーズンの罠猟はイノシシ三頭でした。