STORY 開発の現場から

MADE IN JAPANスキンメッシュを育んだ、小さな縫製所のはなし

潮の香りに誘われるがままに、日本海に面する小さな港を目指した。数台の軽自動車とすれ違うだけで、人の姿は見えない。静まり返った港には、漁師を待つ小舟が陸に上げられていた。周りを見渡しても、それらしき建物はない。 「こっちですよ」と、ファイントラック生産品質管理を担当している佐藤亮の声で振り返ると、田舎でよく見る一軒家の前で手を振っていた。

いいものをつくる。ただそれだけ。

「スキンメッシュ®の縫製工場を見てみよう」ということで、島根県の出雲空港からレンタカーに乗り継ぎ、日本海沿いを1時間も走って辿り着いた。ファイントラックのスキンメッシュ®といえば、ドライレイヤー®という言語をアウトドア業界に新たな常識として定着させた大ヒット商品である。年間10万枚に届くという生産量を誇り、モデルによっては店頭に並ぶと同時に売切れることもしばしば。昨年から注力している女性専用モデルも、女性特有の悩みに正面から向き合った画期的なアウトドア用品として新たなファンを獲得し、生産が追いつかないほどの人気を得ている。
そんな主力商品の生産現場だけに、「さぞ大きな工場なのだろう」と想像をしていたが、ドアの横に手書きの看板が申し訳なさそうにぶら下がっているだけの、お世辞にも大きいとは言えない小さな町工場だった。

いつまで続けられるか不安だらけでした。

「この辺りは昔、たくさんの縫製所があって活気に満ちていました。だけど今はもう2軒しか残っていません」と、15年間の現場修行を経て二代目社長を務める山根慎二さんが、先代の時代を振り返る。

「昔から付き合ってきたアパレルメーカーは皆、賃金の安い中国にオーダーを移してしまいました。その影響は大きく、地元の職人達は次々と職を失い、技術も止まってしまいました。私たちの縫製所も、父の代から40年以上続けていますが、いつまで続けられるか不安だらけでした」

大手アパレルメーカーがこぞって中国などのアジア圏へと生産拠点を移し、日本の繊維産業現場は大打撃を受けた。加速する消費社会への対応ばかりが優先され、培ってきた日本の技術は、コスト安と引き換えに衰退の一途を余儀なくされた。今ようやく問題視されつつあるmade in japanの弱体化である。

「ファイントラックの金山社長がいらしたのは13年前だと記憶しています。社長と言うよりは、『気さくなおっちゃん』という感じで、『国内生産じゃなきゃあかんのや!』と熱く語られていたのが印象的でした」という山根さんの思い出は、ファイントラック創業当時の話に繋がる。

断られて当然です。でも…

2004年夏。ファイントラックの代表になってまだ半年の金山洋太郎は、早くもブランド存続の危機に立たされていた。創業したばかりのブランドはまだ小さく、当時の生産量は今とは比べ物にならない数十枚程度。モデルによっては数枚の製品もある。地方の小規模な工場はどんどん衰退し、生き残っているのはすでに割り切った合理化で大量生産の体制をとっている大工場ばかり。そんな時代の中で、金山は全国を駆け回り、スキンメッシュ®の縫製を受けてくれる工場探しの日々が続いていた。

「本当にしんどかったです。当時のファイントラック製品の仕事を受けても商売になりませんから、断られて当然です。でも諦めるわけにはいきませんでしたから」と、金山も13年前を振り返る。

「山根さんがふたつ返事をしてくれた時は本当に涙が出るほど嬉しかった。先代のことも当時の慎二さんのことも、よく覚えています。私のモノ創りに共感し、人情だけでお受けいただいたようなもんですから」

貫通メッシュを編むための伝統的な編み機

スキンメッシュに使用する極薄の貫通メッシュ編地は、最新の編み機では生産することができず、昔ながらの編み機を大切にメンテナンスしながら、ゆっくり、丁寧に編み立てる。ここにも日本の繊維産業の伝統が息づいている。

編んだ生地を検品する作業まで、すべて人の仕事

編み機の細かな調整の変化によって素材の特性は変わってしまうもの。そんな職人的な技術こそが、失われてはならないmade in japanのクオリティである。機械は進化してゆくが、技術は熟成されてゆくものだと思う。

工場が大きいとか小さいとかは関係ない。

この出会いがのちに、アウトドア業界に革命を起こすスキンメッシュ®の誕生となる。年を追うごとに生産量は倍増し、工場にも活気が戻る。ブランドと工場がお互いを助け、成功のスパイラルが勢いよく回り出した。

「工場が大きいとか小さいとかは関係ありません。受けた恩を忘れずに、お互いにしっかり手を取り合い、理解を持ちながら、『いいもの』を創り上げていくことが一番大切なんです」という金山は、縫製工場だけでなく、創業当時から付き合っている国内繊維関連会社とは、今も変わることなくモノ創りを一緒に続けている。

「made in japanの柱は創り手が支えています。その根幹は日本のブランドが支えなければなりません。目指すべきモノ創りは、『いいものをつくる』こと以外にないわけですから」

品質が確約されたチームワーク

made in japanのモノ創りを絶やさないために、創り手を支えることも、それを伝えることもブランドとしての使命だ。入社4年目を迎える生産品質管理の佐藤も「私が担当になった時にはすでに、品質が確約されたチームワークが完成されていました。海外生産では考えられないことだと思います」と、今請け負っている責務に充実感を感じていると話す。

安心して使えることで信頼が生まれる商品には、創り手の想いまでも感じ取ることができる。
スキンメッシュ®は、人の情熱で紡がれた奇跡のモノ創りで完成されている。
汗冷えのヒヤリから解放された時、日本のモノ創りの本質をその温もりから感じてみてほしい。

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